霊場恐山への旅
霊場恐山
人は死ねばお山へゆくという…。みちのくのその先、青森は下北半島にある霊場恐山へ。
冷水
冷水(ひやみず)は、俗界と霊界との別れといわれ、一杯飲めば十年若返り、二杯飲めば二十年、三杯飲めば死ぬまで若返るという。
八月も終わろうとしていたが、まだ紫陽花が咲いていた。お賽銭は花の形に、どんな思いがあるのだろう。
宇曽利山湖
木々が生い茂り曲がりくねった道路を進んでいくと、突然シアン色の宇曽利山湖(うそりやまこ)が見えて来た。空の真っ白な雲を映している、とても静かな湖だった。湖の水は強酸性だそうだが、そんな所にも魚が棲んでいるという。
三途川
硫黄のにおいが漂い、三途の川(さんずのかわ)に架かるのは、紅く塗られた太鼓橋。橋の上から見た川は青と緑の不思議な色。その先には何に使われたのか、朽ちた木の杭がずっと続いている。欄干には鈴が下げられ、糸とんぼが飛んでいた。
霊場恐山
境内に入ると山門や地蔵殿は思いのほか新しく、昔写真で見た恐山のこの世ではないようなイメージは捨てられたが、地面を流れる温泉が湯気を上げ、屋根からぶら下げられた金属がカランカランと音を鳴らし、そして人はいるのにみな黙り込んでしまうのか声はほとんど聞こえない…。
地獄
地蔵殿にお参りし、硫黄のにおいの地獄へと向かう。地獄は表面が崩壊した石を積み上げて出来たような丘だった。所々に湯気の立ち上がる荒涼とした風景。石仏が安置され、風が吹くといっせいにキュルルという乾いた音を立てて回る風車。一体今までにどれだけの人が、どれだけの思いを抱いてこの地獄を歩いてきたのだろうか。
遠くに見えてくる極楽浜がこの地上で唯一の救いに思えてくる。
賽の河原、血の池地獄
この世ではもう会うことのない人を思い、木にはわらじや手拭いがたくさん結ばれていた。八角円堂の中では故人へたくさんの服がお供えしてあった。
金属で出来た輪を回すと、中に通された小さなカネが落ち、カシャンカシャンと音を立てる。
血の池地獄はここだけこんなにも血の色をしていた。そしてもうすぐそこには極楽が待っている。
極楽浜
空はだんだんと雲に覆われてきたが、砂は白く、水はコバルトブルーに光、ここだけ見ていると本当に南国のようだ。だが砂浜のあちらこちらには、花やお線香やお供え物、そして風車などが置いてあり、安置された石仏や積まれた小石が、ここが紛れもなく故人を偲ぶ場所だということを物語っている。
砂浜の立札には『恐山 心と見ゆる湖を 囲める峰も 蓮華なりけり 大町桂月』
この静かな宇曽利山湖を渡って、向こう岸へ自分も行くことがあるのだろうかと思いを馳せて、亡き人を思い続けていた。
再び地獄へ
お山と宇曽利山湖を背に再び地獄へ。遠くを歩く人が、人でありそしてまた人ではないような不思議な思いになってしまった。
延命地蔵尊
地獄を歩く参拝者を見守るように立っている延命地蔵尊。その足元に積まれた石、風車、小さなお地蔵さん。どの世界に行っても助けて下さるというお地蔵様の慈悲、その信仰が純粋に信じられそうな、そんな気がした。
境内
温泉で足だけ温め、時間の許す限り境内と付近を歩いた。山門の石仏は服を着せられまるで人間の彫刻のようだった。空には厚い雲が迫り、青空を隠していく。
釜臥山
恐山から少し離れた釜臥山(かまふせやま)の頂上には、恐山の奥の院がある。展望台からはむつ市と陸奥湾が見え、肌に吹き付ける風は強く、夏の雲が湧き立っていた。帰り道にはおびただしい数のトンボが飛んでいた。
寺名:恐山菩提寺
本尊:延命地蔵菩薩
開基:慈覚大師円仁
本坊:曹洞宗円通寺
開山期間:5月1日~10月末日(6:00~18:00/大祭典・秋詣り期間は別設)
大祭典:7月20~24日
秋詣り:10月の体育の日が最終日となる3日間(土・日・月)
入山料:大人1人500円
〔以上パンフレットより〕
※恐山といえば有名なイタコさんがいますが、イタコさんはいつもいるわけではなく、大祭典の時に恐山の場所を借りて口寄せを行なうのだそうです。
※境内には温泉があり、入山料だけで入ることが出来ます。
〈注〉これらの情報は訪問当時のものです 。
【場所】青森県むつ市:霊場恐山
2006年(平成18年)、8月下旬